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さて、今日のブログは「ケリーバッグ」にまつわるヒストリーです。
「ケリー」がハリウッドの伝説的オスカー女優、グレース・ケリーに
由来することは、エルメスを愛する方なら誰でも知っている
有名なエピソードですね。
グレース・ケリーは生誕から約90年、その死から40年が経とうとしています。
しかし、今でもその不世出の美貌と波乱に満ちたシンデレラストーリーは、
世界中のファンの心を捉えて離しません。
今日はそんな「女優の」ケリーと、
「エルメスの」ケリーのお話です。
グレース・パトリシア・ケリーは、煉瓦会社を営む
ジョン・ケリーの娘として、1929年にアメリカで生まれました。
ジョンはもともとボート競技の選手として成功を収めており、
オリンピックでメダリストにもなったアメリカの英雄的な存在でした。
そのため自分の子供たちにもスポーツマンになる事を求め、グレースの兄
ジョン・ケリー・Jrも、後年ボート競技のメダリストとなります。
しかし兄弟姉妹の中で唯一、人見知りで内向的な
性格だったグレースは演劇に自分の道を見出し、
その後の人生において父との確執を生むことになります。
ハイスクールを卒業後、ニューヨークでモデルのバイトをしながら
舞台俳優を目指していたグレースは、22歳の時に映画会社にスカウトされ、
続いて1952年に「真昼の決闘」でゲイリー・クーパーの相手役に
大抜擢されたことを機に一気にスターダムをのし上がります。
特にアルベルト・ヒッチコック監督に気に入られると
「ダイヤルMを回せ!」「裏窓」「泥棒成金」などのヒット作に次々出演。
同時代のハリウッドを牽引した
マリリン・モンローのオープンでセクシーな魅力とは対照的な、
知的で清楚な美しさを売りにしたグレースは、
一躍ハリウッドを代表する女優として名を馳せます。
一方でモンローと同じく、グレースもまたハリウッドの名優や
著名人たちと数々の浮名を流すことになりました。
ゲイリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、ビング・クロスビー、
ウィリアム・ホールデン、オレグ・カッシーニ…
そうそうたるメンツを数えればキリがありませんが、共通していることは
みなグレースよりも一回りも二回りも年上の男性であること。
実はグレースの父ジョンは、スポーツ選手にならなかった娘に冷たく、
幼少の頃はおろか、彼女がハリウッドで成功を収めた後も、
グレースに愛情を注いだり、褒めたりすることがほとんどありませんでした。
ハリウッドのトップスターという地位を手に入れてもなお、
父親の愛情だけは手に入りません。
誰もが得たいと思うものを得ながら、本当に得たいものは得られない。
グレースが自分よりも歳の離れた男性ばかりと交際したのは、
そんな彼女の寂しい心情の現れと言われています。
そんなグレースも1956年、カンヌ国際映画祭で知り合ったモナコ公国の大公
レーニエ3世と結婚し、すっぱりと女優を引退してモナコ公妃となります。
この時ばかりは、それまで冷淡だった父ジョンも祝福の言葉を贈っています。
グレースは27歳。わずかに5年あまりのハリウッド人生でした。
1957年に長女カロリーヌを授かりますが、
待ち構えているパパラッチに妊娠している事を悟られないよう、
持っていたカバンで咄嗟にお腹を隠した写真が世界中へ広まります。
このバッグこそ、HERMESの「サック・ア・クロア」であり、
現在のケリーバッグなのです。
写真を見る感じですとだいぶ大きいサイズであることが分かります。
黒一色でいまとほとんど変わらないデザインです。素材はカーフでしょうか。
60年近く前の写真ですが、時代に囚われないエルメスの
普遍的なデザインセンスが窺える一枚でもあります。
このパパラッチの一件のあと、HERMESは「サック・ア・クロア」を
「ケリー」と改名することに決め、モナコ公国の許可も取り付けて
晴れて「ケリーバッグ」が誕生したのでした。
グレースはその後一男二女の子をもうけ、
モナコ公妃として慈善活動など様々な事業も精力的に続けました。
1982年、自ら自動車を運転してフランスの別荘からモナコへ帰る途中に
脳梗塞を発症して崖下に転落。53歳にして帰らぬ人となります。
モナコ大聖堂での葬儀には、フランク・シナトラをはじめ多くの
ハリウッド俳優や著名人が参列したそうです。
グレースの人生はまさしく波乱万丈でしたが、
しかし最後には「家族」というかけがえのないものを手に入れました。
彼女はこれからも永遠のスターとして、フィルムの中で輝き続けます。
そしてその名を冠した「ケリーバッグ」は、
現在もバーキンと人気を二分するエルメスのトップアイテム。
グレースのように凛とした佇まい、
誰をも惹きつける清楚で優雅なスタイル、
そしてその中に隠されたエルメスのモノづくりへの情熱は、
ヒッチコックをして「雪に覆われた活火山」と評された
グレース・ケリーその人の人となりを、
見事に受け継いでいると言って良いのではないでしょうか。
「名は体を表す」とは、まさにケリーバッグの事なのです!